東京高等裁判所 昭和42年(う)256号 判決 1967年10月28日
控訴人・被告人 押味哲
弁護人 金田善尚
検察官 福山忠義
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
原審における未決勾留日数中二〇日を右刑に算入する。
ただしこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(控訴趣意)
弁護人金田善尚提出の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用する。
(当裁判所の判断)
控訴趣意第一点について、
所論は、おおよそ次のとおり主張するものである。すなわち、原判決は、被告人が被害者と海岸波打際附近で取つ組み合いの喧嘩をし、波打際から次第に海の中に入つて行き、互いに相手を殴打したりして被害者と揉み合つているうち、波打際から数メートル離れた沖合の深みにいたり、その背丈が水深に及ばなくなつた被害者が被告人にしがみつこうとするやこれを突き離し、よつて同人をそのころ同所付近の海水中において溺死するにいたらしめた旨判示し、水深が背丈に及ばなくなつてから後の被告人の行為が法律上責任ある旨判決している。ところで原判決の被告人が被害者を突き放した外形事実はあるが、右は被告人も溺死しようとするのから逃がれるためのものであつて期待可能性がなく責任のない行為である。これを詳言すると、当時被告人は六軒の飲食店で酒を飲んで酩酊しており、しかも体力的にまさる被害者との格闘により疲労しきつていたばかりでなく、被告人は泳ぐことができたといつてもそれほど泳ぎが上手ではなく、いわんや溺れたものを救助する知識もなかつたこと、被害者からしがみつかれた際被告人自身も背丈のとどかない海水中において自分も溺れないため懸命に泳いでいた最中であつたこと、被害者を突き放し漸く逃れてから数米の陸上まで上る力もなく被告人も波打際に倒れてしまつたことなどの状況に照らすと、右の場合自分が溺死しないように努めることは人情で、自分も一緒に溺死する可能性が多分というよりむしろ確定的のとき被害者を突放すことをしないで救助することを被告人に期待することはとうていできない状態にあつたといわなければならない。要するに本件は被告人と被害者が喧嘩闘争中に深みに落ちて被害者が溺死した事案で、深みに落ちる前の喧嘩闘争中の暴行と溺死とは相当因果関係があると認定されてもやむを得ないが、深みに落ちた後の被告人の行為についても法律上有責であるように判示した原判決はいわゆる期待可能性に関する事情存否について誤つた認定をしたか、もしくは期待可能性についての法令の解釈、適用を誤つたものであり、右の誤りは判決に影響を及ぼすものであるから原判決は破棄されるべきである。
よつて検討するに、原判決挙示の各証拠及び当審における事実取調の結果を総合すると、本件は、まさに所論のように、被告人と被害者が海中において喧嘩闘争中に知らず知らず深みに落ち泳ぎのできない被害者がついに溺死するにいたつたもので、深みに落ちるまでの喧嘩闘争中の暴行と右溺死との間に因果関係が認められるため、被告人に傷害致死の責を負わすべき事案であり、その間のすべての事情もまた所論のとおり認めることができる(被告人が被害者を突きはなした際の心境の点について、被告人の司法警察員に対する供述調書には、前記喧嘩闘争行為の継続として被害者に対する憎悪の念から被害者を突きはなしたものであるとの趣旨の供述記載があるが、右供述は被告人の検察官に対する各供述調書の記載に徴してもとうてい被告人の真意に出たものとは認めがたく、原判決もまた証拠として掲げていない。)。しかるに原判決は、所論のとおり「・・・その背丈が水深に及ばなくなつた被害者が被告人にしがみつこうとするやこれを突き離し」と判示しているため、あたかも一見右の突き離した行為が本件傷害致死罪を構成する暴行にあたるものと認定したかのように思われないでもないけれども、原判決の掲げる証拠と対照して原判文を通読すれば、右判示の部分は単に事情を述べたに過ぎず、罪となるべき事実としては必ずしも前述の当審認定と異る趣旨に出たものとは認められない。してみれば所論のいわゆる「期待可能性がないから責任がない」旨の主張は、その前提を失うことになるので、結局論旨は理由がない。
控訴趣意第二点について、
所論は要するに原判決の量刑不当を主張するものである。
よつて検討するに、記録によれば、本件犯行の大要は前記のとおりであつて、その招来した結果はまことに重大であるといわなければならないが、致死の原因となつた暴行の態様は、素手で殴り揉み合うという単純なもので通常は死の結果を伴うものでなく、たまたまそれが海中でしかも双方泥酔のうえ行われたため両名とも知らず知らずのうちに深みに落ちついに泳ぎのできない被害者が溺死するにいたつたものであつて、むしろ不慮の災難に近い出来事といつてよい。なるほど溺れかかつた被害者が被告人にしがみつこうとしたところこれを突き離したという事実は認められる。しかし、前述のように、それは被害者に対しことさらに暴行を加える意図でしたものではなく、むしろ相手からしがみつかれそのままでは自分自身も溺死してしまうと考え、一途に相手から逃げようとする無我夢中の気持からであつたと推認されるのであつて、これをとらえて被告人の責任をとかくいうことは酷に失する。また被告人が陸にはい上つてから直ちに助けを求めなかつたこと、又関係者に対し当初事の真相をありのままに述べなかつたことなどの事実は存するが、当時泥酔して事件を起した後のこととて被告人が肉体的にも相当疲労困ぱいしており、精神的にも大きな衝撃を受けていたことなどを察すると、一概にこれを非難することは必ずしも妥当でないように思われる。もともと被告人と被害者とは平素から勤務先を同じくする親しい飲友達であり、当夜も被告人は被害者から誘われて数軒の飲屋を歩き廻つたのち、さ細なことから口論となり前述のような喧嘩闘争に発展したものでことに海辺で闘争するにいたつた点については、最初海辺に導いたのもそこで乱暴をしかけたのも被害者の方で、むしろ被害者が挑発したともいうべく、その死の結果については被害者自身に大いに負うべき責があつたといわざるをえない(よく一般に「死人に口なし」といわれるけれども、当時被告人は他町から通勤していたもので本件犯行場所にいたる地理に明るくなかつたことがうかがわれるし、又被害者は平素から酒癖がわるく乱暴をする嫌いがあつたことが関係者の証言により認められるので、喧嘩のいきさつに関する被告人の供述にいつわりがあるとは思われない。)。その他被告人には前科、非行歴などなく、平素の行状性格にも粗暴なふしは見られないこと、並びに被害者の遺族に対し被告人は慰藉料を支払つて示談し被害者の遺族においても宥恕の意思を表明していることなど諸般の情状を考慮すると、被告人に対しては刑の執行を猶予するのが相当であり、原判決の科刑は重すぎると認められる。論旨は理由がある。
よつて本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により次のとおり自判する。
(当審の判決)
原審の確定した事実に法令を適用すると次のとおりである。
被告人の所為につき刑法第二〇五条第一項、原審における未決勾留日数の算入につき同法第二一条、刑の執行猶予につき同法第二五条第一項、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文、
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 足立進 判事 浅野豊秀 判事 渡部保夫)
弁護人 金田善尚の控訴趣意
第一点原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認乃至は法令の適用の誤りがある。
(1) 原判決は被告人と被害者がもみ合つて居るうち波打際から数メートル離れた沖合の深みに至りその背丈が水深に及ばなくなつた右猪浦が被告人にしがみ付こうとするやこれを突離しよつて同人を溺死するに至らしめた旨判示し水深が背丈に及ばなくなつてから後の被告人の行為が法律上責任ある旨判決して居るが被告人の右行為は責任がないものである。
被告人と被害者が争つて居る中に背丈が水深に及ばなくなり泳ぎの出来ない被害者が被告人に掴つて来たのに対し被告人が之を突き放した外形的事実はあるが右被害者を突放した行為は被告人も溺死しようとするのから逃がれる為のものであつて期待可能性がなく責任のない行為である。
被告人は六軒の飲食店で酒を飲み相当酒に酔つた上(飲酒の程度については登美子、尾崎昭子、松井登美、中沢初江、池田絹子、渡辺春子等の警察官調書)同人より体力的に劣る(阿部源吾の証言)被害者と波打際附近に於て喧嘩し組み伏せられ暫時起上る事が出来ない程疲労したのに続いて更に取組合をしだんだん深い方に行つたものである(被告人の第二回公判に於ける供41・8・15付被告人の検事調書五項)
そして被告人としてはそれ程泳ぎが上手とは言えず溺れた者を救助するには特別の知識を有する所その知識もないのに背丈が届かない深みに落ちたのである。
右の様にして深みに落ちた被告人は溺死しない様懸命に泳いで居る時に溺れかけた被害者からしがみつかれて来たので之と一緒に溺死しない様必死になつて被害者から逃れる為に之を突き放し漸く逃れたがそれも数米の陸上迄上る力なく被告人も波打際に倒れてしまつたものである(被告人の第二回公判に於ける供述)41・8・15付第六項)。
右の場合自己が溺死しない様に努める事は人情で自分も非常に疲労し一緒に死溺する可能性が多分と言うより寧ろ確定的の時被害者を突き放す事をせず救助せよと被告人に期待する事は出来ない。
喧嘩と正当防衛或は緊急避難の許否については積極消極の両説があり(中央大学出版部発行判例学説総覧二二三頁二四一頁参照)判例は一般的には消極に解して居るが必ずしも氷炭相容れざるものとは考えて居ない様である(前同二二四頁)。
特に従前の判例は挑発者或は喧嘩闘争者間の闘争の為にする相互の侵害についての事案で本件は被告人が被害者を突き放したのは挑発に基づいたものでも又闘争の為にしたものでもないのであつて仮令違法性を阻却しないとしても少くとも期待可能性がない。
要するに本件は被告人と被害者が喧嘩闘争中に深みに落ちて被害者が溺死した事案で深みに落ちる前の喧嘩闘争中の暴行と溺死とは相当因果関係があると認定されても(判例)止むを得ないものではあるが深みに落ちた後の被告人の行為に迄刑事責任ありと認定した原判決は前記期待可能性の存する事情の事実を誤認したものか法令の解釈を誤つたものである。
検察官が起訴状に同人の反撃に対処すべく同人と取り組み合いながら次第に海中に至つたため遂に同人を溺死するに至らしめたものであるとして居るのも弁護人と同じ見解に基づくものと考える。
(その他の控訴趣意は省略する。)